2013年5月31日金曜日

この木なんの木なんの花

木の花第二段
わけのわからない形をしたピンクの花です。
ずっと頭の上で咲いているこの花は、花弁の真ん中に大きな穴があいていて、まるで虫がむしゃむしゃ食べてしまったようです。
この木なんの木・・・という歌が浮かんでくるようなこんもりとした木です。
今は紫と白の藤の花ような花がびっしり咲き誇っています。
公園の陽だまりの真ん中にぽつんと植えられたこの木は、これからきっと大きくなって、夏の紫外線よけにぴったりの木になってくれることでしょう。


写真がぼけたの?
と言いたくなるような、二本の木たち
ブラシの木があるんだから、ほうきの木があってもおかしくないかもしれない。
ありました!


ほうきの木”(ホウキグサ:アカザ科の一年草 果実はとんぶりと呼ばれ食用可)と呼ばれる

だそうです。
花が実になるころに、また写真を撮って、どんな実がつくのかお知らせします

2013年5月29日水曜日

木に咲く花たち

 5月のさわやかな公園、
一面のピンクに染まる桜の花の饗宴が終わり、その後は、公園の外周に並んだ木々たちの出番です。
でも、緑の葉影に咲く花は、よ~く見ていないと、見落としてしまいます。


上は、オリーブの花、みつばちが蜜をあつめて回っています。
オリーブは実をつける木とつけない木とあり、花が終わったあと、あのオリーブ油の元となる緑のかわいい実がなります。この実からオイルが取れるのでは、と小さな木に期待を寄せた時もありますが、残念ながらしろうとでは、この実からオイルを取ることは難しいらしいです。

それ以外の花は、まだ名前がわかりません。
どんぐりの木の花ではないのだけは確かなのですが・・・・・
そのうち、じっくり調べてみます。


2013年5月27日月曜日

ブラシの木

フトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木。別名、カリステモン
カリステモンとはギリシャ語で「美しい雄しべ」という意味
毎年3月から6月に、この大きな赤いブラシを身につけるます。木の名前はなかなか覚えられないものですが、この花だけは、絶対に忘れません。
公園のベンチの横に、ぽつんと1本、その辺の空気にブラシをかけているかのように、風にゆらゆらゆれている様は、思わず、ごくろうさんと声をかけたくなってしまいます。



2013年5月26日日曜日

一眼レフのカメラ


やっと買いました。
最新より1つ古い型の一眼レフのカメラを、
父の形見のカメラは、ディジタルカメラの走り、しろうとの私にはとても使いこなすところまで行きません。撮りたい構図も色も、そしてなにより、明るさが出ません。
最初のカメラから比べると、考えられないくらい軽い、望遠のピントも一瞬で合わせてくれます。
夕方の少し陽が落ち始めた頃、今まで撮れなかった写真が、思う存分撮れます。
パソコンの画面から「きれいに撮ってくれてありがとう。」 そんな声が聞こえてくるような、・・・
次は何を撮ろうかな?

2013年5月24日金曜日

長居公園の朝

大阪の真ん中にある長居公園は、大きな競技場やプール、植物園を含む巨大なオアシスとなっています。そんな公園の朝は、走る人、歩く人、ラジオ体操、盆踊り、太極拳ととても賑やかで、いたって不健康な生活を送っている私には、とてもまぶしい空間でもあります。そんな長居公園の写真をいくつか、ご紹介します。

公園の外周道は大きな木々ですっぽり囲まれ、やわらかい朝の陽ざしがここちよい。ここは真夏になっても、朝夕はとても涼しく、たくさんの人が、涼を求めてやってくる。
まぶしい朝日を一面に受け、たっぷり餌をもらった長居公園の主たち、とても野良猫とは思えないほど、つややかで、ふっくらしている。
でも、こころなしか、表情はきつく、我が家のだいすけ君のようなやさしい面影はみられない。
やはり、のらはのら、縄張りあらそいに、大きなカラスたちに、のんびりはしていられないのかも知れない。


2013年5月23日木曜日

タブレットのカメラ

思い出の海岸
父が亡くなって、8年、父がいつも胸にぶら下げていた一眼レフのディジタルカメラは、ずっと私の旅のお供をしていました。
でも、にわかカメラマン、どう頑張ってみても少しでも日が陰ってしまうと、持ち前の自動焦点が、全く機能しない。
AWG・・・? シャッタースピード・・・ リモートシャッター、 重い重い三脚 色々やってみたけれど、ずっと小さくて、軽~い携帯で撮った写真にすっかり負けてしまっている。
とりわけ、困るのは、私が出かければ、雨が降る強烈な雨女であること。
いつしか、重い一眼レフは埃をかぶり、変わりに
私の家族
B5サイズのタッチパネルの出番となりました。
旅に行くたびに、馬鹿みたいに大きな画面をぐっと前に差し出して、シャッターを押します。周りのカメラマンには、とてもお邪魔なタッチパネルなのです。
写真は、タッチパネルで撮りました。父の七回忌みんな揃って幼いころに良く家族で出かけた、海岸沿いの国民宿舎で宴会です。
白髪の母は、80歳過ぎても、私より、頭も体もしっかりしていて、ふと20歳差なんて、年を取ればたいして差がないんだな。と考えさせられてしまいます。



2013年5月22日水曜日

ポジション

人は生きて行く為には、自分なりのポジション(立ち位置)が必要となります。
一番確立されたポジションは「母」というポジションでしょう。
なぜなら、私たちは、「母」なしに存在しえないからです。たとえ、どんなに小さな虫たちでも、
そう思えば、「母親」のポジションなんて、ことさら大げさにするものではないのかも知れません。
息子の結婚式でもらったテディベア
でも、やはり、「母」に課せられた様々な精神的、物理的な作業は大仕事です。その時はもう必死です。
そんな時、ふと思うのです。小さな虫でも、その辺ののら猫でも、「母」がいる。そう受け流してしまえば、少しは気が楽になるのでは?
社会が期待する母親像は、良妻賢母、やさしくて、おだやかで、何事にもにこにこしている。
でも、現実の生活の中で、「母」は、決してそんな100点満点の「母」であることは、ほとんど不可能に近いでしょう(歴史小説の中にはたくさん出てきますが、(笑))。
なぜなら、「母」は考えたり、学んだりして何とかなるものではなく、持って生まれた、性格と、どんな家庭で育てられたかによって大方が決まってしまいます。「母」は「母」から受け継ぐものが大半だからです。
一番大切なのは、子供の成長と共に「母」も成長するかどうかでしょう。
ジタバタしても、地団駄踏んでも、「母」は一人のうすっぺらい人間でしかない。
だから、そう肩を張らずに、気楽に「母」というポジションに腰を掛けるのがいいのかも知れません。
と、30数年「母」をやってきた、ダメ母の、言い逃れと、今必死で「母」をやっている人たちへの、「応援メッセージです」

2013年5月21日火曜日

手作り

9匹目を作りました。
二つと同じものは出来ません。それぞれ、愛情込めて、ひと針ひと針仕上げて行きます。
夜な夜な起きだして、こそこそお話しているような、・・・・・・
自分の心の状態で、それぞれが、違って見えるのがとても不思議です。

2013年5月20日月曜日

プラス ワン

5月のさわやかな風が、ふっと 足元をすりぬけて行く。
そんな小さなことが、自分の暮らしをちょっと変えてくれる。
ちょっと変えてくれる何かをこれから探してみます。